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Vol.002 株式会社 TSUNAMIネットワークパートナーズ 代表取締役社長 呉 雅俊第1話 起業精神の根幹にあるもの
コラム1“Mechanism” パーソナル・データ(1)
自分はいったい何をすればいいのか
 現在は、曲がりなりにも一企業の代表取締役社長に納まっていますが、実は小さい頃から会社を作りたかったという思いを強く持っていたわけではありません。どちらかと言えば、自分は何がしたいのか、将来何になりたいのかがわからなかったほうです。
  父は物静かな人でしたが、今から考えると、中学時代の父の一言が自分自身を見つめさせるきっかけになりました。まず中学を卒業するときに「お前、高校へ行くのか」と真面目に聞かれたことがあるのです。ショックでした。高校へ行くことに対してはなんら疑問を持っていなかった。それが普通ですよね。でもその一言で、「高校っていうのは行っても行かなくてもいいものなんだ」と気づかされたのです。進学以外に、自分に何かやりたいことがあれば、高校へは行く必要がないということを。
  でも、その時は高校進学をやめてまでやりたいと思うことが見つからなかったので、高校へは行きました。でも「自分は自分の意志で高校に来たんだ」と言う強い思いがありました。しかし、高校時代は、好き勝手をしていました。行きたくないときは行かない、受けたくない授業は受けないなんてこともやりました。ある日、先生に呼び出されて注意されました。「受けたくない授業は受けないっていっても、それじゃあ先生のほうも気分が悪いだろう」と。確かにそうだなと納得をした覚えがあります。

渡邉美樹さんとの出会い
 大学への進学を考えるときには、どの学部にしようかということで迷いました。大学にはいろいろな学部がありますが、そこに行って具体的に何を勉強するのか、何ができるのかがよくわからなかった。それで悩んだわけです。でも、たまたま文系よりも理系の勉強のほうが性に合っていたのか、まずはそちら方面へ進んでみようかなと。国立への進学を勧めてくれる人もいましたが、国立理系は受験のために勉強しなければならない科目が多いですから、三科目だけで受験できる私立理系を受験することにしました。そして、明治大学工学部の機械科に入学することになりました。
  明治大学に入った最初の年、現在ワタミ株式会社の社長である渡邉美樹さんと出会いました。一週間のうち五日は一緒にいるというような間柄になりました。彼といつも一緒にいたのは、私にとってとても刺激的な人だったからです。年上の方なら「この人にはかなわない」と思わせる人はたくさんいましたが、渡邉さんは同世代でありながら私に唯一「こいつには勝てない」と思わせた人物です。渡邉さんのすごいところは、決してこぢんまりとは考えない。常に「トップになる」とか「僕は大学に仲間を作りに来たんだ」と公言していました。当時から大物の風格というか圧倒されるようなスケール感を持っていましたね。

自分の座っているであろう場所が見えてくる
 大学卒業後の就職に関しては、機械を専攻していましたし、もともとクルマが好きだったので自動車会社を第一志望にしました。ホンダや日産を希望したのですが、結局、大学から推薦された日本ラジヱーター(現カルソニックカンセイ)に入社することになりました。
  日本ラジヱーターは、若い人に積極的に仕事を任せてくれる会社でした。私も一年目からすぐに担当車種を持たせてもらえたのです。配属はラジエーターの設計部門でしたが机に座って図面を引くだけではなく、お客様の所に行ってわからないなりに専門的な話をして来るなんてこともやりました。もちろん、会社に戻ってからは必死になってまわりに聞いて回りました。でも、仕事自体はとてもおもしろかったですね。
  この日本ラジヱーターには3年居ました。なぜ退職したかというと、ある程度の規模の会社にいると3年もたてば、自分の将来がある程度見えてくるようになるんです。3年たったらあの席に座ってる、50歳になったら、あそこに座ってこんなこと言ってるんだろうなって。もちろんそんな生き方を否定するわけではありませんが、自分自身はそうはなりたくなかった。何か違う可能性があるんじゃないかと思っていましたから。そこで24歳の時に海外勤務を希望したんです。でも年齢制限があって会社からはどうしても許可してもらえませんでした。



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