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Vol.002 株式会社TSUNAMIネットワークパートナーズ 代表取締役社長 呉 雅俊第3話 ベンチャーキャピタルという生き方
コラム3“Change” パーソナル・データ(3)
経営者の立ち位置を再確認
 ワタミを退職したあとはしばらく休養しようと思っていたのですが、渡邉さんから勧められて、九州にあった養殖関係の会社グループに一時関わりました。ハマチの養殖をする会社で、品質的にはイオンのトップバリュー商品に選ばれるほど評価は高かった。しかし結局は経営がたちいかなくなったのです。
企業というのは、ちゃんとした情報もとに正しい判断を行っていれば、それなりに結果を出していけるものです。たとえ悪い情報があったとしても、やり方を変えるなどで対応していくことができるはずです。その会社の場合、決定的な失敗というのはなかったのですが、たぶん小さな事の積み重ねが、結局は事業をたちいかなくさせたのだろうと思います。
振り返って考えてみると、経営者と私との間に何らかの情報の齟齬があったのかなと思っています。小さな嘘、情報の些細なデフォルメ等が積み重なっていったのではないかなと。成功していればそうしたことはすべてかきけされることなのですが、その時には逆転ホームランが飛び出すようなことは起こりませんでした。
私が経営の側に深く踏み込んでいれば、絶対そのようにはしなかったという思いもあります。しかし当時の私の置かれていた立場には、やはり限界があった。結局その会社は、大手の水産会社に引き取ってもらうことになりました。

ベンチャー起業を目の当たりにして
 ワタミを辞めたあと次に何をしようかと考えたとき、自分自身は一人では生きていけないという思いがありました。また社会と関わりのある仕事をしたいという思いもありました。ワタミ時代はワタナベイズムとでもいうべきものにとらわれすぎて、自分自身で首を絞めていたことも事実です。しかし、「ねばならない」と思い込むことを止めるとしても、社会に関わって生きていくことは自分の中での重要なテーマではありました。
その当時もいろいろな方々とお会いする機会に恵まれました。証券会社の方やベンチャー企業の経営者をしている仲の良い友達が来てくれました。また会社を辞めたことでそれまでとは違った情報が入ってくるようになり、様々なベンチャー起業家と会う機会も増えました。その中の一人が株式会社オプトの鉢嶺登社長でした。鉢嶺社長はネットを使ってビジネス展開を考えていました。当時はネットバブルの時代。紙一枚の企画書で本当に億単位の金を集めることができるのを、私自身目の当たりにしていました。
ワタミ時代は銀行融資が中心で、銀行関連のベンチャーキャピタルにお金を出してくださいという程度でした。しかしワタミ時代なら10年かかった資金調達を、その時はあっという間にできてしまったわけです。ワタミ時代は、上場してから初めて経営者のやりたいことができたものです。しかしネットバブル期は、赤字でも債務超過でもディスクローズさえちゃんとしていれば直接金融でお金を調達することができました。私はそのようなやり方があることを初めて知ったわけです。




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