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Vol.006 日本アジア投資株式会社 代表取締役社長  立岡登與次第1話 学問から商いへ
コラム(1) パーソナル・データ(1)
ベンチャーキャピタルとの出合い
 日立製作所には14年間いました。ずっと国際事業部でした。ベンチャーキャピタルという仕事を知ったのもこの時期です。たまたま日立時代の先輩がジャフコに転職しまして、その年の忘年会で会ったときに、「新しい仕事はどうですか」と尋ねたところ、「ベンチャーキャピタルは、たっちゃん(立岡)みたいな、理系の人間でもできる金融の仕事ですごくおもしろい」という答えが返ってきました。それ以来、ベンチャーキャピタルという言葉が頭の片隅にずっと残っていたのです。
  それからしばらくして、日経新聞で日本アセアン投資の求人広告に出合ったのです。その要項には、「ベンチャーキャピタル事業で、アジアを中心に投資をしている」と書かれていました。私自身、日立の国際事業部でアジア諸国を回ることも多かったものですから、文字通り土地勘もあったわけです。

「理系でもできる金融」の難しさ
 そこで日立の図書館に行き、日本アセアン投資について調べました。資本金が23億円で、国のバックアップを受けてアジア諸国に投融資をしていると書いてありました。帝国データバンクを見ても最高の格付けでした。これはいい会社だなと思いました。国がバックにある、ベンチャーキャピタルである、アジアが舞台である、そして、何よりもいいと思ったのが従業員が7名というところでした。日立製作所は当時、従業員が7万人以上いました。7万分の1よりは7分の1の方が社長になれる確率は高いぞ、と思ったわけです。
  日本アセアン投資に入社した時には38歳でした。同期入社の中では一番年上でした。今と違って当時は中途採用に年齢制限がなかったから採用してもらえたのでしょうね。
  実際に仕事を始めてみて、確かに先輩に言われた通り「理系でもできる金融」でした。しかし、すんなりと仕事になじんでいけたわけではありませんでした。
  それまではメーカー勤務でしたから、金融のイロハみたいなものが全然わかっていなかったのです。同期の中には若くして金融の経験者などもいて、彼らがそらんじていることがこっちはわかっていないということが、精神的にきつかったですね。これはひとつひとつ勉強していくしかないなと覚悟を決めました。
(8月9日更新 第2話「艱難辛苦の営業道」へつづく)



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