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Vol.014 ベスタクス株式会社 社主 椎野秀聰第3話 起業するは我にあり
コラム(3) パーソナル・データ(3)
アイスクリーム・コーポレーション設立
 ギターづくりに関する本を書いたり講演をしたりして幾ばくかのお金が入ってくるようになると、いっそ会社を作ろうと思うようになりました。そして音楽制作、音楽雑誌の編集長、デザイナーなど仲間たちに「おもしろい事をやろう」と声をかけて作った会社が、アイスクリーム・コーポレーションです。この会社には当時慶應義塾大学の学生で今はCIとブランディングの第一人者である山田敦郎(現・グラムコ代表取締役社長)君も参加していました。
  アイスクリーム・コーポレーションと名付けたのは「すぐに溶けてしまう」という意味合いを込めたものです。会社では音楽の制作、プランニング、ポプコンの原型となるイベントなどを手がけました。森平楽器(現モリダイラ楽器)の創業社長、森平利男氏と「モーリスを持てばスーパースターも夢じゃない」というコピーを作って、日本のフォークグループのアリスやタレントにモーリスのギターを持たせてみるというキャンペーンを企画しましたし、それまでにはなかった、音楽の権利の事業化にも取り組みました。
  しかしこの会社が1年も経つと儲る会社に変わってしまった。一番若かった山田君でさえ月50万円から70万円も給料がもらえるようになったのです。そのときに感じたのが「濡れ手に粟のようなことを続けたら、金銭感覚が麻痺して人間がおかしくなる」ということです。また、そのまま会社を続けると「どうすれば大きくなるか」「どうやれば儲かるか」だけを考える企業になってしまうという恐れもありました。私自身は「興す起業」に興味はありますが、「企てる企業」にはまったく興味がなかった。それで仲間に会社を辞めようと提案したのです。みんなも同調してくれてアイスクリーム・コーポレーションは解散しました。このアイスクリーム・コーポレーションの企画事業から派生して現在上場会社になっている企業がいくつかあります。しかし私はそれらの会社の株は1株たりとも持ってはいません。当時から私は「心で仕事をする」「自分の富のために仕事はしない」と言い続けてきましたし、それを実行してきました。そのスタンスは今も変わっていません。

ベスタクス発進

 アイスクリームコーポレーションを解散して次に始めたのが株式会社イー・エス・ピー。しかしそこも設立して3年後には譲渡し、1977年に椎野楽器設計事務所を設立したのです。。今のベスタクスの前身です。設立当初は楽器の設計を専門にしていたのですが、設計の仕事というのは完成した設計図をわたしてしまうとそれでお終いになってしまう。設計図をもとに製造された楽器がいくら売れても会社にはお金が入ってこない。それでは駄目だと思いVESTAX(ベスタクス)という自分のブランドを作り、自らも楽器の製造にも乗り出しました。
  ベスタクスはオリジナルな物を作るのが好きな集団、みんながワクワクしたい物を作る会社です。今ではカラオケにも入っているボイスチェンジャー、エフェクターはベスタクスが初めて開発した商品で、コンプレッサー、リミッターなどの名前も自分たちで考えました。このエフェクターに人気が出てマーケットができあがると、こんどは後発の会社が真似をして同じような商品を次々と出してきました。ひどい物になると我が社で間違えた回路をそのままコピーしているものまで現れる始末です。
  レコーディング機器も作るようになりました。独自のサイマルシンクヘッドを開発したり、ハードディスクレコーダーに世界で初めてデジタルミキサーを搭載したりしました。こうしたパイオニア的な機器もすぐに他社に追随されコピーされますが、私たちはそれにも負けず、オリジナリティを追求しつづけています。




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