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Front Interview
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Vol.015 早稲田大学ビジネススクール教授 商学博士 松田修一第1話 人よりいずる
コラム(1) パーソナル・データ(1)
向上心と向学心と

 私は1943年、山口県の大島町(現周防大島町)で生れました。私の祖父は青春時代、米国のシアトルで料理人をしていました。幼い頃から祖父と一緒に米国時代の写真を見ながら話を聞かせてもらうのが大好きでした。祖父や祖母の兄弟も海外に出ていました。海外にいる親戚がコーヒーや砂糖などを島に送ってくる、成功してお金を儲けた人たちが島に帰ってくる。これがありふれた光景でしたから、子供の頃から海外は身近なものに思えていました。また、大島はハワイのマウイ島と姉妹島でしたから、もともとが世界に開かれていた土地柄だったと思います。当然私も将来は海外に出て仕事をしたいと思うようになっていました。
  高校までは陸上部に在籍していました。早稲田大学に入学したら箱根駅伝に挑戦しようと思っていました。ところが1年浪人してしまったので、まずは勉強を第一にしようと考え直しました。大学の入学式で各クラブが新入生の勧誘を行っていました。ボート部の前を通るとひときわ必死に声がけをしていて、部員で広島県出身の打越さんという方につかまり「なんだ君は山口か。広島の隣じゃないか」となかば強引にボート部に入部させられたのです。
  ボート部の練習場は隅田川にあり、毎日練習に通わなければなりませんでした。その上練習がきつかったのでボート以外のことがまったくできなくなりました。2年間はボート部に所属したのですが、本格的に勉強しなければと思い、3年になって退部することにしました。


会計の神々に出会う
 私が入学した頃の早稲田大学商学部には佐藤孝一先生、青木茂男先生(日本会計研究学会第2代会長・元企業会計審議会会長)、染谷恭次郎先生(日本会計研究学会第4代会長)、新井清光先生(日本会計研究学会第7代会長・元企業会計審議会会長)などキラ星のごとき先生たちが在籍していました。
  私が会計に目覚めたきっかけは商学部3年の時に佐藤孝一先生の講義を受けたことです。佐藤先生の講義は情熱に溢れ本当に素晴らしいものでした。それまでは「会計」というものには良いイメージは持っていませんでした。鼻の頭にめがねを引っかけ腕に黒いカバーを付けて背を丸めて算盤を弾いている姿しか思い浮かびませんでしたから。「他人の仕事を後で整理する」というイメージしか持っていなかった私に、「会計とはまさに企業の活動と表裏一体である」という、その原点を教えてくれました。佐藤先生との出会いがあったからこそ、その後の私は会計を真剣に学ぶことになったのです。
  さらに佐藤先生からは「公認会計士」という資格があること、公認会計士試験は司法試験、外交官試験と並ぶ難関であることを教えられました。私は公認会計士試験こそチャレンジのしがいがある資格だと、その時思ったのです。私は早速、青木茂男先生の大学院生が組織した早大CPA受験研究会に入会しました。CPA研究会とは公認会計士試験に合格した先輩が後輩を指導する受験指導の会です。会は成績が悪いメンバーを次々に振り落としていきます。入会したとき44人いたメンバーは6カ月で14人にまで減り、学部生で残っていたのは私だけになりました。





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