起業家・ベンチャーキャピタル・投資家を繋ぐコミュニティ・マガジン

Front Interview
第1話 第2話
第3話 第4話
Vol.015 早稲田大学ビジネススクール教授 商学博士 松田修一第1話 人よりいずる
コラム(1) パーソナル・データ(1)
都の西北、早稲田の杜に
 1966年、私がCPA研究会で勉強していた頃、学費値上げの問題がこじれ大学が150日間も閉鎖するに至りました。
  学校を正常化しようと商学部ではゼミの有志連が結成され、学校を閉鎖していた革マル派と話し合うことになったのです。私も有志連のメンバーとして話し合いの場に臨みました。結局は学生による投票で、学校閉鎖を続けるか否かを決めることになったのです。投票を妨害されては元も子もないので、私は革マル派から投票箱を守るため、ゼミ連の仲間とともに丸2日間近所の蕎麦屋の2階に籠もりました。みんなで座っていると大学受験ラジオ講座の蛍雪時代が聞こえてきました。そして番組の最後に早稲田大学の校歌が流れ、思わず周りの仲間と一緒になって歌っていました。
  CPA研究会で一緒に勉強していた先輩は、私が学内の闘争にのめり込むのを見て心配したのでしょう。「試験もあるのだから、学内でそんなことはするな」と注意してくれました。しかし闘争に関わった時点で、私はその年の公認会計士試験合格は諦めていました。ですから合格したときには、周りはびっくりしていました。もちろん当の本人が一番驚いたのですが。早稲田大学4年の時でした。

経営監査の発見

 公認会計士2次試験に合格はしましたが、それだけで資格をもらえるわけではありません。3次試験を受験するため実務経験が必要となります。
  大学院生になると、実務経験とアルバイトを兼ねていくつかの企業の監査を手伝うようになりました。私は当時から、企業を調査するときは、結果としての帳簿が合っているかどうかを見るだけでなく、「元は何だろう」「原因は何なのか」と常に問い、その元となる事実を明らかにしていくことが監査なのだと信じていました。そしてそこにいるのは、結局人間なのです。つまりずっと人間というものに興味を持って仕事をして来たのだと思います。
  ある企業から監査を依頼され、大阪の営業所に行った時のことです。売掛金チェックを担当したのですが、私は単に売掛金の帳簿上の数字が合っているかどうかを見るだけでなく、与信管理表を持ってきてもらい、売り掛けと与信の関係を突き合わせてみたのです。すると売り掛けのほとんどが与信限度以上であることがわかりました。つまり与信限度が2億円なのに、3億円、4億円もの売掛金が計上されているのです。私はそこを指摘し「もし相手が倒産したときには営業が責任をとるのか、それとも与信限度を決めた人が責任をとるのか」と聞きました。営業所の経理担当は、そのような質問をされるとは思わなかったのでしょう、大変困って返事らしい返事をもらうことができませんでした。
  私は東京に戻って大阪で見た通りのことを報告しました。すると先方の取締役から「今まで20年監査を受けてきたが、そのような指摘は初めてだ」と言われました。今でもそうですが、私は原因がわからないと結果を判断できないたちなのです。そして事実を明らかにするのが監査だと信じて仕事をしていました。しかし「君のやり方は他の人とは違う」と指摘されたことで、初めて普通の会計士とは違う方法で監査をしていたことに気づいたのです。私がやっていたのは「会計監査」ではなく、企業の「活動監査」であり「業務監査」だったのです。私自身はそれを「経営監査」と呼びました。


5月9日更新 第2話「若き血潮の深化」へつづく)




HC Asset Management Co.,Ltd