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Vol.026 法政大学名誉教授 法政大学学事顧問 清成忠男第3話 ベンチャーキャピタル
コラム(3)
米国VCの視察
 1971年ごろに、中村秀一郎先生と平尾光司さんと私で、ベンチャーキャピタルが存在しなければ、ベンチャービジネスは伸びないという問題提起を行いました。私はまだ国民金融公庫に在籍中でしたが、米国へ行き、実際にこの目でボストンにある世界初のベンチャーキャピタル・ARD(American Research Development)を見てきました。
 ベンチャーキャピタルの発掘は、もともとは平尾さんの功績です。彼は一橋大学を出て長期信用銀行に入行し、在職中にペンシルバニア大学の大学院に留学してマスターを取得しています。その後、長銀のニューヨーク支店長になりましたが、そこで米国のベンチャーキャピタルを発掘したのです。ですから、平尾さんは米国のベンチャーキャピタルの実態を極めて正確につかんでいた最初の日本人といえます。
 私たちは、いろいろな証券会社で、特に若い人たちから、自分が米国に留学した時にベンチャーキャピタルに気づいて、帰国後に報告したけれども、上司がまったく取り上げてくれなかったという話をよく耳にしました。個々人レベルでは、ベンチャーキャピタルの存在に気づいていたのでしょうが、上の世代には、なかなか耳を傾けてもらえなかったようです。

ベンチャーキャピタル黎明期
 私たちの問題提起を契機に、1972年から1973年にかけて、日本でも8社のベンチャーキャピタルが設立されました。そのうち、野村證券が作った日本合同ファイナンス(現・ジャフコ)以外の7社については、私が設立に関わりました。山一証券は、山一ユニベンをつくり、中小企業金融公庫の調査部長だった加藤廣さんを社長に抜擢しました。ちなみに加藤さんは昨年、75歳で『信長の棺』という時代小説を書いて作家デビューし、ベストセラーとなって注目されている方です。
 日興證券はセントラルキャピタルを作り、大和証券は長期信用銀行が作ったNEDに参画し、住友銀行は日本ベンチャーキャピタルを作りました。ところが、株式の店頭公開基準が厳しいため、ベンチャーキャピタルができても、機能しませんでした。
 そもそもベンチャーの資金調達は、基本的に直接金融で行うものです。リスクが大きいので、融資には馴染みません。直接金融でベンチャーキャピタルが投資をした場合、どう回収するかというと、成長して株式を公開したら、市場で売ればいいのです。つまり、ベンチャーキャピタルが事業として成立していくためには、まず株式の公開が容易でなければならないのです。



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