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Front Interview
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Vol.014 ベスタクス株式会社 社主 椎野秀聰第1話 ワイルド・ワン
コラム(1) パーソナル・データ(1)
ありのままに生きる
 そんなことを繰り返していては東大に受かるわけがありません。結局3年間浪人生活を送りました。私は「3年も落ちればもう良いだろう」と思ったのですが、親はそうは思わなかったようで、「兄弟も大学に4年間行かせたのだから、おまえもあと一年がんばればいい」と言ってくれたのです。自分自身は受験勉強をせずに遊んでいたわけですから、いくら時間をもらっても東大など受かるわけがないのは、自分が一番よくわかっています。それなのに、もう一年間同じような生活を強いられるのかと思って困ってしまいました。
  ちょうどその頃、兄から「人には流れに流される生き方というのもあるんだ」と言われたのです。兄は逆の意味で言ったのかもしれませんが、私はその言葉を聞いて、「流れに流される、つまりありのままに生きるということもできるのだ」と思ったのです。
  当時、自分のありのままとは何かというと、すぐに思いついたのがその時のめり込んでいた「音楽」でした。それで音楽に関係した楽器点に入ろうとヤマハ(当時は日本楽器製造)の入社試験を受けたのです。

ヤマハとの出合い

 私の叔父の祖父がヤマハ(当時は日本楽器製造)の創業者だったということもあるのでしょう、幸いヤマハに入社することができました。1968年のことです。ヤマハ入社がきっかけで音楽の世界と本格的に関わりを持つことになったのです。
  ヤマハに入社する前は精神的にとても落ち込んでいました。結局、自分は人生に失敗したのだ、まともな会社には入れない、まともな結婚はできない、世の中ではきっと何もできないだろと思っていましたから。
  しかし、いざ仕事を始めてみると意外におもしろくて、いろいろなことができるようになりました。銀座店にいたときには当時のヤマハのセールス記録を作りました。おそらくこの記録はいまだに破られていないでしょう。この記録は、上司に「売り上げ目標を達成したら、課の全員をスキーに連れて行ってくれ」と直訴したことから始まりました。その目標額というのは半端な金額ではありませんでしたから、上司は当然「できるわけがない」と答えました。しかし私は意地になって「できるから一筆書いてください」と言い返しました。そして本当に目標を達成して全員でスキーに行ったのです。そんなことをしでかしたのも、私自身が血気盛んというか体制には反抗的な性格だったからでしょう。


4月4日更新 第2話「原点から、源流から」へつづく)




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