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Vol.016 GCA株式会社 代表取締役 佐山展生第3話 あくなきチャレンジ
コラム(3) パーソナル・データ(3)
ユニゾン・キャピタル設立
 三井銀行に勤務していた時に一つの大きな決断をしました。それが会社を設立することでした。そして、まだ勤務していた1998年10月20日。仲間と4人でバイアウト・ファンドであるユニゾン・キャピタルを設立しました。なぜこの仕事をする決断をしたのかと問われれば、日本ではまだ誰もやっていないマーケットであり、自分たちがパイオニアになれると思ったからです。私自身にとってもチャレンジングな仕事でした。
  ユニゾン・キャピタルでの実際の活動は、銀行退職後の1999年1月からとなりました。オフィスを広尾にある元マンションの1階55坪に構えました。ところが、世の常として立ち上げてすぐには仕事がありません。成功の確たる自信があったわけではないのですが、成功した時はおもしろいだろうなと思っていました。銀行で忙しく働いていた頃からすると、生活は一変しました。しかし、この時期は、本当に時間がゆっくりと流れているのを感じることができました。私にとって珍しいぐらい余裕を持てた貴重な期間だったと思います。周囲の人間はよくそんなマーケットもまだない世界に入っていくなというように見ていたようですが、私自身はうまくいったらおもしろいな、でも失敗したらM&Aアドバイザーの仕事をすればいいやと考えていました。起業した仲間も同じように別の仕事をすることも覚悟で加わったと思います。新しいことは、必ずうまくいくという保証はありません。うまくいくとおもしろい、でもうまくいかなくても何とかなるというふうに思わないと新しいことはできないと思います。
  まず会社をつくった最初の時期に私たちが何をしていたのかというと、「利益が出たらどう分配するか」ということを仲間と話し合っていました。会社を設立した当初は意外に決めておかなければならないことが多いものです。こうした決めごとは儲かり始めてからではトラブルになりがちです。ユニゾン・キャピタルが内部でトラブルも起こさずうまくいったのは、創業当初にこうしたルールをしっかりと決めていたからだと思います。

看板なきスタート

 ユニゾン・キャピタルの第1号ファンドはバイア・ウトファンドで、200億円の投資資金を集めることが目標でした。資金を集めるためまず米国の投資家を回りました。「日本ではまだ誰も手がけたことがないビジネスで、我々はそれに挑戦する」と言って説明したのですが、事業計画について説明すると相手から「それでは、あなたたちはいくら出すのか」と聞かれました。投資ファンドでは、一般に総額の1%〜2%の自己資金を出すことが業界の常識だったのです。それすら知りませんでした。200億円のファンドなら2億円から4億円は自分たちで出す必要があるのです。しかし素人同然といえる私たちの事業計画も米国の投資家たちは真剣に聞いてくれました。
  米国で資金集めをした後は、日本の機関投資家を回りました。ある生保では30代の若い課長が出てきて、自己紹介と簡単な説明を数分しただけなのに「申し訳ないけれど、皆さんはこれまで会社の看板で仕事をしてきたのでしょう。看板なしの個人で200億円などというお金を集めるのは無理です。やめた方が良いです」と言われました。しかし、結局、第1号ファンドは170億円の資金が集まり、1999年8月にスタートしました。最終的には総額380億円までになり、アスキー、東ハトなど7社に投資しました。




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