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Front Interview
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Vol.023 市民バンク代表 片岡勝第4話 知恵の力
コラム(4) パーソナル・データ(4)
細胞が騒ぐ
 島根の温泉津に吉田屋という旅館があって、そこが後継者を探しているというのです。みんな高齢で、お膳を運ぶ人も、お客さんが大丈夫ですか、と心配するくらい。それで僕の教え子に話して若女将になってもらいました。今は売り上げが2.4倍で全国紙にも何度か載るほどになりました。そうしたら、1年間に100人以上もインターンが訪ねて来るようになりました。ある女性と面接したとき、以前の職場でよほど嫌な目にあったのでしょうね。すごく暗い顔をしてやってきました。「わかった。君はリハビリ採用」といったら、途端に表情が緩んで、「リハビリでいいんですか」と嬉しそうに笑うのです。最近は、いろいろな鎧を着て、社会のルールに合わせて無理する若い人が多いですね。みんなもっと自然に生きればいいのですよ。
 だから今、僕は農林漁業の再生をテーマにしているのです。島根県や山口県でお茶園やブドウ畑を去年からやっています。今年は林業と決めて、今、所有したり管理運営している山林が百町歩以上ある。森を生かし元気にするには人が入るようにしないといけません。そこで山口県と島根県に8カ所ある森で毎週土日にイベントをやりました。でも、それは儲けるためにやるわけではなくて、みんなで山を再生し、土を踏みしめて、間伐して、太陽が差し込む体験をすると、本当に清々しいのです。そこに風が通り抜けていき、「あーっ」とため息をつきながら汗を拭った時の快感というのは、本当に輝いています。
 一度、そうした体験をするとわかるのですが、それには値段がつけられません。細胞が騒ぐのですよ。ざわざわっと。そういうことで自分が活性化し、何かエネルギーが溢れ出てきます。そして、エネルギーのある人同士がぶつかると、増幅してアイデアも生まれます。そういうエネルギーのある場所にいると、生きている実感が湧いてくるのです。

湧きいずるエネルギー
 自然の中で生きることのいいところは、仕事があるということ。とにかく忙しい。人生が息苦しくて病んでいるのなら、農林漁業に取り組むことがいちばんの癒しになります。だから、そういう職場をつくっていきたいですね。農林漁業というフィールドに若者たちがどんどん入ってきて、いろいろな出会いが生まれる、それはもうドラマです。そうした場にいて一緒に話していると、自然にやりたいことが湧き出てくるものですよ。やりたいという自覚すらない場合もありますが、でも、お互いの心のどこかに触れた時に、ともかくそれをやってみようじゃないかという何かが生まれてきます。60歳からは農林漁業をフィールドにして、その再生を課題にしています。この分野でたくさんの後継創業を作って行きたいですね。そのために10町歩の茶園を購入したり、森や古民家やミカン畑を購入したり、自分で将来、使うことはないだろうけど次代の若者にフィールドを残すべく、資金面でできることで協力していきたいと思っています。そこに早速、レゲエの歌手がやってきて、レゲエを聞かせながら茶を作りレゲエ茶にしようと張り切っています。レゲエはぼくの時代のロックやフォークソングに当たるような社会への歌による発言なのですね、今の彼らの。時々、彼らはカリブに行っていたりします。もう、国境は彼らにとっては低く薄くなっているのです。
 最近、僕自身も軸足を半分、日本から海外に移そうかと思っているのも、そういうエネルギーみたいなものが、日本にいると感じにくくなっているからなのです。日本に帰ってくると、とにかく無駄なことが多すぎます。そういう負の部分を消滅させていかないと、日本の中にエネルギーが湧いてこないと思います。今まで学生たちとやってきた事業もありましたが、ほとんどは代表執行権を若い人たちに委譲しました。
 彼らとのつながりは続けていきますが、こういうつながりや関係性を、世界の至る所に築きながら、ワールドワイドにエネルギーの増幅機能を創っていきたいのです。僕自身が知恵の源泉だし、人間関係の要になっているので、あとは事業を持っている人たちをつないでいけばいいだけです。

市民オリエンテッドの知恵
 ある国際会議の場で南アフリカの黒人運動家でザネールさんという女性に紹介されたとき、「ぜひ南アフリカに来てください」といわれたので、その後、会いに行ったことがあります。黒人の自立運動が盛んな頃で、入国する時は本当に恐しかったです。当時は白人政権で、彼女たちは、反体制側でしたから。その時に、モザンビークに仲間がいるからといって紹介されたのが、グラサ・マシャルさんでした。
 当時はまだ内戦中で、グラサは文部大臣でした。「これからの課題は何か」と訊いたところ、「教会の仲裁で和平が決まった。これからの問題は大量にリリースされた銃をどうするかだ」というのですね。そこで、「そうですか、大変ですね」と答えてしまったら、コミットはできません。僕は、「その銃の問題、なんとかしましょう」といったわけです。そこで考えたのは、「銃を生活の道具にしよう」というコンセプト。40フィートのコンテナ7つくらいに、自転車、ブリキ板や金槌、針金といった生活道具を積んで銃と交換する運動を始めたのです。それで回収した銃と弾薬の数が、7万。銃の交換ですから、恐かったですよ。その場で交換すると危ないので、チケットを渡したり、村の長に集めて貰ったり、いろいろ工夫しました。
 国連からは、僕らの銃解放運動が素晴らしいといわれて、後は国連が引き継ぐから、市民は引いてくれというので、手打ちをしました。そういう市民オリエンテッドの知恵や活動というものが、いろいろなかたちでつながりをつくり、アイデアを生み、成果を出していくのです。社会的な解決策を提示することで、人と人がつながっていくのです。僕は、そういう知恵が試される場というのが好きだし、面白いのです。そういう実験、チャレンジがないと燃えないのです。



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