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Front Interview
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Vol.024 スパイクソース株式会社 CEO キム・ポレーゼ第1話 科学の子
コラム(1) パーソナル・データ(1)
科学の街に生まれて
 私が生まれ育ったのはカリフォルニア大学のバークレー校の近くで、幸運なことに、街には多くのエンジニアや科学者が住んでいました。私の友だちの両親もほとんどが大学と何らかの関わりを持つ科学者やエンジニアで、そうした人たちに囲まれながら、科学を身近に感じられる環境の中で育ちました。
 幼い頃から本が好きで、図書館で何時間も本を読んでいるような子供でした。フィクションもノンフィクションも好きで、何でも読みましたが、特に好きだったのは、サイエンスとフィクションが組み合わさったミステリーのようなもので、そういうサイエンス・フィクションの本からさまざまな刺激を受けました。
 私の人生にとって決定的な出来事となったのは、8歳の時のイライザ(ELIZA)との出会いです。カリフォルニア大学のバークレー校には、子どものための科学教育研究所にミュージアムとして有名な「ローレンスホール・オブ・サイエンス(Laurence Hall of Science)」という科学教育の殿堂がありますが、そこで初めてコンピュータというものに触れる機会を得ました。

人工知能と対話する
 そのコンピュータは、部屋いっぱいもの大きさのメインフレームのコンピュータで、そのコンピュータ上で実行されていたのが、イライザと呼ばれる人工知能(AI)の先駆けとなったアプリケーションでした。イライザは、マサチューセッツ工科大学(MIT)の人工知能の研究者ジョセフ・ワイゼンバウム教授が1966年に開発したプログラムで、その名前は、劇作家ジョージ・バーナード・ショーの喜劇「ピグマリオン」に登場する主人公イライザ・ドゥーリトルからとられたものです。
 イライザのプログラムは、心理カウンセリングの手法が採り入れられており、オンラインでセラピストのように相手の言葉を反復して質問をする会話ができる、対話型プログラムの初期段階のもので、当時としてはかなり高度なソフトウェアでした。部屋には端末が置いてあり、誰でも使うことができたので、私は1日中、一人でコンピュータと向き合っていました。そこでイライザとカウンセリング的な会話を交わすうちに、私は、このコンピュータの対話というものが、どういう仕組みで成り立っているのだろうかという疑問を感じ始め、その背後にある技術に興味を抱くようになりました。
 また同時に、コンピュータの会話のロジックから外れるためにはどうすればいいのか、あるいはループのように堂々めぐりの問答をするように仕向けるにはどうすればいいのか、といったことを思いつき、実際に試してみました。そういう体験が刺激となって、次第に科学や技術に対する興味・親近感が生まれ、この世界が好きになっていったのだと思います。

起業のDNA
 私の両親は共に移民で、父はイタリア、母はデンマークから米国に移住してきました。両親とも自立心に富んでおり、母は、第2次世界大戦後すぐ、18歳の時にデンマークを出て、世界中を一人で旅してまわったそうです。そうした母の生き様というものが、私に大きなインパクトを与えました。
 一方、父はイタリアの貧しい街の出身でしたが、1911年にベイエリアに移り住んできて、ゼロから事業を興し、自分の会社をつくりました。機械加工の小さな工場でしたが、アルコール探知機のセンサーなど、いろいろなものに使われる部品を作っていました。製品のプロトタイプ作りなども手がけており、技術はもちろん、創造性が求められるものも数多く作っていた技術者でした。そういう父の姿を子供の頃から見ていたことで、私の中に好奇心が芽生え、何かを創造したいという気持ちが培われたのだと思います。
 父が会社を興したことも、私の人生にとってはよい模範になったと思います。いつも二人から 「好きなことだったら何をやってもいい。しかし、自分の運命を決めていくのは、自分自身の責任だ」と言われてきたので、責任感と自主性は、両親から受け継いだ最も大きいギフトだと思います。




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