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Vol.029 株式会社アールテック・ウエノ取締役 岩崎俊男第3話 天命
コラム(3) パーソナル・データ(3)
ベンチャーキャピタル
 米国で1995年くらいからドットコムバブルが起こり、きっと数年後には、同じことが日本でも起きるだろうということで、そういうものを持ってアメリカから帰ってこられた方が、独立的な事業を興そうとして模索する、という動きが出てきました。一方、ベンチャーキャピタルも、DELLやINTELなどのようなコーポレートベンチャーキャピタルが出てきて、そういう投資スタンスと日本の銀行証券系のベンチャーキャピタルの投資スタンスがあまりにも違ったため、このままいくと、自分たちの立ち位置がなくなるということになってきたのです。
 例えば、上場を果たそうとしている企業があるとすると、2年前までしかファイナンスができない規制がありました。公開前取得規制というリクルート事件の余波でできた規制ですが、そうすると、その2年間の時間的価値が稼げるわけです。社長の持ち株比率を維持するためにワラントというのがありましたが、そうしたものを一緒にアドバイスすることで、かなり低い株価で投資をできる権利を持つことができました。持ち株比率が数%以下であっても結構な収益を稼ぐことができました。それが80年代後半から90年代にかけての日本のベンチャーキャピタルのビジネスモデルでした。
 その後、日本の株式市場にナスダックが来るなど、そういう流動過程の中で、タイムバリューを稼ぐ仕組みそのものがなくなってしまったのです。公開前取得規制もなくなり、自由化が進んでくると、これまで障壁によって守られていたビジネスモデルというのは当然、成り立たなくなってきます。私が移ってきた頃は、そういう動きがかなり明確に見えていたので、これは何とか変えていかないと持たないのではないかという気持ちになりました。海外でインベストメントカンパニーというのは見ていましたが、ベンチャーキャピタルというのは初めてでした。しかし、ベンチャーキャピタルの仕事にはとても興味をおぼえ、自分に向いているという思いもありました。

深く経営に入り込んでいく
 そういう状況の中で、どこからどう手を付けていくか、ということで、まず初めに考えなければならなかったのは、「期間的なものでしか利益を見られない」という考え方を変えることでした。そこで、擬似的なファンドを創るということになります。つまり投資した会社が10年後にどうなっているか、ポートフォリオの価値としてプラスになっているかマイナスになっているかの評価ができるシステムの確立です。古手のベンチャーキャピタリストというのは、自分自身の中に、何件投資して、今いくらになっているかというパフォーマンスを評価する物差し・経験則を持っているものなのです。そういう蓄積された経験則というものを会社としては持っていなかったので、それをシステムで作ろうと考えたのです。
 それまでは純血主義でしたが、経営陣クラスも含めて外部から来ていただくこともしました。そのためにキャリード・インタレスト(成功報酬)という制度もつくりました。もう一つは、レーターステージの分散投資では、ワークしないだろうということで、アーリーステージの会社への投資も含め相応にリスクテイクをしていく方針に変えました。このリスクを取ることによって、その後のメンテナンスをどうしていくかの課題が出てきます。それには、投資先の企業の経営に深く関与していかなければなりません。それまでは取締役を派遣するということはしてきませんでしたが、それをしていこうということで、私自らがやっていきました。
 銀行が経営に関与する場合、基本的には中立主義です。しかし、昔は先方企業に深く入っていって、例えば、ホンダを絶対に支えるのだという気概を持った支店長がいたものなのです。中立性ということからは少し外れたところでがんばっていた人がいたのですが、いつの頃からかいなくなっています。 しかし、ベンチャーキャピタルの世界では、そうしたことが間違いなく行われなくてはならないわけで、そこまで深く経営に入り込んでいかないと、なかなかリスクマネジメントはできないと思います。
銀行系ベンチャーキャピタルはなんと言っても広く厚い顧客基盤をバックにしたディールソース、投資先への事業支援能力に優位性を持っていますが、それに加えて、アウトサイダーの立場からもう一歩踏み込んでいくキャピタリストを作れれば大きな力になりうると考えています。擬似的なものであっても独立系のベンチャーキャピタルに似た仕組みを志向しています。

(7月23日更新 第4話「深化」へつづく)



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