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VC vision
前編 後編
第33回 安田企業投資株式会社 前編 バランスのとれたゼネラルファンド
安田企業投資株式会社は、
安田火災海上保険(現・損害保険ジャパン)と安田生命(現・明治安田生命)が
日本のベンチャーキャピタルの草分け的存在だった
エヌイーディー(日本エンタープライズ・デベロップメント)の
事業を引き継いで設立されたベンチャーキャピタルである。
大手ベンチャーキャピタルでありながら、組織的な投資手法を取らず、
キャピタリスト個人がそれぞれ独自のビジョンでベンチャー投資を行うスタイルが特徴。
前篇では、安田企業投資設立までの経緯と、
設立後に目指した同社のベンチャー投資手法について話をうかがった。

interviewer:森本紀行(ベンチャー座アドバイザー、HCアセットマネジメント代表取締役社長)
投資先事例

民間のベンチャーキャピタルを作ろう

【森本】 まず、安田企業投資と国内最大手のベンチャーキャピタルの一つだったエヌイーディー(日本エンタープライズ・デベロップメント)との関係についてお聞かせください。
【糸川】 安田企業投資の前身の一つであるエヌイーディーが設立されたのは1972年11月のことです。その当時は、国の政策機関である中小企業投資育成会社は存在しましたが、民間のベンチャーキャピタルはまだ少ない時代でした。そこで民間のベンチャーキャピタルを作ろうということで、日本長期信用銀行(現新生銀行、以下、長銀)が旗振り役となって設立されたものです。最初はイコールパートナーという形で事業会社の株主が入った組織で、日本の代表的な大手事業会社に声をかけて作ったのがもとになっています。しかし、設立した翌年の1973年にオイルショックがあって、株式の新規公開や上場する企業が少なくなり、企業を維持していくためにファクタリングや融資事業を業務の中に取り込んでいきました。ただ、そういう形になると、だんだん金融機関としての性格が強くなってきて、事業会社からのエヌイーディーへの関心が薄れるようになっていきました。1983年ころには、長銀を中心にして第一勧業銀行(当時)、伊藤忠商事、大和証券が資本提供するベンチャーキャピタルとして運営されるようになりました。
【森本】 そのころは、店頭公開での公募増資がようやくできるようになった時期ですね。
【糸川】 はい。ベンチャーキャピタルも、新興企業がIPOする以前の段階で資金を集めて、その資本力を背景にして新興企業をマーケットに売り出すことを行っていた時代です。この時期は第二次ベンチャーブームといわれた時期で、証券系の大手ベンチャーキャピタルであるNIF(日本インベストメントファイナンス、現・大和SMBCキャピタル)が設立されたのもこのころです。店頭市場を活性化させようという流れが出てくる時です。この1980年代から1999年にマザーズ市場ができるまでは、利益重視型で、株式公開をするなら3億円の経常利益が必要だということがいわれていた時代です。いわば、中堅の上場予備軍を主な投資対象にしていて、地方のスーパーなどの小売系企業へも投資をしていたころです。現在では、ベンチャーキャピタルがあまり興味を示さない業種にもずいぶん投資をしていました。

エヌイーディーから安田企業投資へ

【森本】 米国ではこのころから、ITバブルに入っていくわけですね。
【糸川】 ええ。しかし、日本では、1997年の山一証券の自主廃業と、北海道拓殖銀行の経営破綻が矢継ぎ早に起きて金融危機に陥った時期です。エヌイーディーの親会社だった長銀も1998年暮れに経営が破綻して、国有化されます。そのため、エヌイーディーも整理されることになりました。当時、エヌイーディーは、長銀グループが過半の株を所有する会社ではありましたが、先ほどの3つの株主からも、多くの出向社員が来ていて、事業は、主にノンバンク事業とベンチャーキャピタル事業の二つを行っていました。1998年当時は、ノンバンク事業のほうはバブルの崩壊とともにダメになっていたのですが、ベンチャーキャピタル事業のほうは、400億円弱の投資残高がありました。そこで、ベンチャーキャピタル事業を生かしていこうということで、ノンバンク事業を分離してベンチャーキャピタル事業の売却先を探したわけです。
【森本】 売却という手段をとったわけですね。
【糸川】 長銀の国有化で、長銀のグループ会社はすべて整理されることになっていましたから、資金回収の一環としてエヌイーディーの売却が進められたということです。その時、7社が手を挙げてくれましたが、その中から安田火災海上保険と安田生命に売却することになったわけです。買収が最終的に決まったのは1999年3月のことでした。当時、エヌイーディーの投資部門に人員が30数人いたのですが、その人員を引き継いでいただく形で行われました。これが、現在の安田企業投資のスタートまでの経緯になります。
【森本】 当時、エヌイーディーは資本金から投資していたのですか。それともファンドを運営していたのですか。
【糸川】 当時、ファンドを3本運営していました。ベンチャーキャピタルには、大きく分けると銀行系、証券系、事業会社系、商社系、独立系などがありますが、エヌイーディーは銀行系になります。銀行系の中では投資残高が一番大きいベンチャーキャピタルでした。基本的に銀行系はバックの銀行が資金を豊富に持っていますから、エヌイーディーでも銀行資金を背景に投資先を自己調達して自ら投資をする形態が大半でした。3本のファンドも、大体20億円くらいの規模で運営していました。
【森本】 新規事業投資のような形ですね。
【糸川】 ええ、イメージとしてはそれに近いですね。ベンチャーキャピタルは、投資したからといってすぐ売却するということではないので、含み資産のような形で長期運用をしておりました。1980年代における経常利益はノンバンク事業のほうで上げていました。
【森本】 安田企業投資になった際には、ファンドもそのまま継承されたのですか。
【糸川】 NED1号はその時点で投資が終わっていましたので、NED2号、NED3号は継承しました。




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