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Vol.003 グロービス経営大学院 学長 兼グロービス・キャピタル・パートナーズ 代表パートナー  堀義人第2話 起業精神を育て上げる
コラム(2) パーソナル・データ(2)
社内事業提案制度の提案
 HBSを卒業すると住友商事に戻り、元居たプラント貿易部門に復帰しました。そのころ住友商事は、総合商社から総合事業会社へとパワーアップしようとしていました。「数と量を右から左へ流す」だけではなく、事業会社の集合体となっていこうとしていたわけです。この方向性には僕自身も同感でした。総合商社冬の時代と言われていて、単なる手数料商売では成長が見込めない、という危機感がありましたから。
  僕自身は、この方向性を実現させるためにも新たな事業を起こすことが必要だと考えたのです。そこで2つの事業企画をまとめ、上司に提案しました。一つはパソコン通信事業、もう一つがビジネススクールの企画でした。しかし「プラント本部の事業としては領域が違いすぎる」と却下されてしまいました。
  僕自身、提案した事業そのものの成長性を信じていました。だから、どうしても事業化したかった。そこで「社内事業提案制度」を作るように新規事業企画室にまで出向いて提案しました。でも新たな制度が作られることはありませんでした。
  一般的に日本の大企業というものは、新しいビジネスの提案をしても「それはリスクが大きい」、「ここに問題がある」と、できない理由をたくさん挙げてしまうことが多いようです。これは安全とも言えますが、社員の発想をつぶしてしまうことでもあります。僕はそれまでの自分自身の経験から「最初から不可能だと決めつけられるようなものは一切無い」、そう自らを戒めるようにしています。

30歳の起業
 僕の事業提案は、商社の中で実現する道が閉ざされてしまったわけですが、僕自身、その将来性には自信を持っていました。それで結局は外に出て事業を始めようと決意したわけです。6年間勤めた住友商事を1992年に退職し、設立したのが資本金80万円の小さな会社グロービスでした。資本金は友人達16人に5万円ずつ出資してもらったものです。当時30歳。30代からは僕自身、新たな道を切り開いていくんだと思っていました。
  グロービスはHBS時代の「日本にHBSのような学校を作れないだろうか」という思いを実現するために設立した会社でした。そのコンセプトはアフターファイブのビジネススクール。MBAのエッセンスを短期間に低価格で学べる経営者教育機関でした。意気込みは大きかったのですが、事務所は当時僕の住んでいた三軒茶屋のアパート。教室は道玄坂の貸し教室を借りたものでした。講師はHBSの先輩である藻谷俊介氏にお願いしました。当初はマーケティング・コースだけからのスタートでしたが、幸い20名の優秀な受講生が集まってくれました。これが現在のグロービスのスタートでした。
(5月17日更新 第3話「事業の成功に必要なもの」へつづく)




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