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Vol.016 GCA株式会社 代表取締役 佐山展生第1話 真剣勝負
コラム(1) パーソナル・データ(1)
寝食を共にする
 大学を卒業して就職したのが帝人でした。1976年、帝人入社後は広島県の三原工場で集合実習を2カ月間行い、その後、主力工場であった愛媛県の松山工場に配属されました。びっくりしたのは配属されて1カ月現場実習してすぐに55人の三交替勤務の作業員の組の長にさせられたことです。高校を出たばかりの若い人から父親と同世代までいるグループを束ねることになったのです。「学歴社会なんてすでに過去の話だ」と思っていたのに、実際は大卒社員が22歳ですぐに職場のリーダーになる。工場はまさに学歴社会の典型でした。
  工場は365日24時間稼働し続けています。社員は4組に分かれ三交替で働いていました。仕事は常に同じ組の人たちと顔を合わせます。会社にいるときだけではありません。野球だ、花見だと休日も常に一緒です。とても濃密な人間関係を体験しました。この製造現場での経験は本を読んでも、テレビを見てもわかるものではありません。まさに寝食を共にするという実体験がないとわからないことでしょう。
  この経験が現在のM&Aの仕事に生きていると思います。M&Aに携わっている人で金融分野出身の方々は、会社を「お金」とか「物」として見る傾向があります。私は会社を人の集団だと見ています。会社で働いている人のこと、その家族のことを常に考えます。そう考えられるのも帝人時代の工場で、働く人たちと築いた濃密な関係があったからだと思っています。

大企業でも潰れるのだ

 帝人に入社してすぐ、第2次オイルショックが起こり、帝人も大きな影響を受けました。会議で上司が「帝人も銀行管理になるかもしれない」と発言したこともありました。人員削減が計画され社員全員に退職金が示されました。私にも退職金が示され、入社して程なくのことでしたからたいへん驚きました。「大企業でも潰れるかもしれないのだ」と思い知らされましたし、再建を主導する銀行の存在を知り「銀行とはそんなに強いものなのか」という強い印象を持ちました。
  入社したばかりで詳しいことはわかりませんでしたが、おそらく課ごとに削減人数の割り当てがあったのでしょう。わずかな退職金で辞めていった人を数多く見ました。確かにその後会社の業績は良くなりましたが、しかし経営者が胸を張って「業績を良くしました」とは絶対に言えるものではありません。私は「経営者は働いている従業員を幸せにして初めて経営者と言えるんじゃないか」と思うようになりました。
  それでも当時の私は、定年まで帝人に勤務するつもりでした。しかし29歳の時、尊敬していた4歳年上の方が亡くなったのです。組織内で精神的な重圧があったのかもしれません。私はそれをきっかけに会社というものを見つめ直しました。帝人は本当に良い会社ですが、大企業というものは、実績を上げたからといって偉くなったり社長になれるというものではありません。そうしたものが見えてきて、自分は大きな組織には向いていないと思うようになりました。「帝人にいれば50歳過ぎ頃までは安定している。しかし50歳を過ぎて昇進しなくなったとき、きっと後悔するんだろうな」と考え始めたのです。

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月13日更新 第2話「新しい世界へ」へつづく)




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