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Vol.021 株式会社アドウェイズ 代表取締役社長CEO 岡村陽久第2話 千載一遇
コラム(2) パーソナル・データ(2)
自分を売る
 訪問販売の仕事を始めて間もない頃です。あるお宅で自分の年齢が16歳であることを話したところ「若いのに大変だね」と言われ契約にこぎ着けることができました。それからは16歳という若さと、高校へも行かずに働いていることを積極的にアピールするようにしました。年齢の割にふけた顔をしていたので初対面だと25〜26歳に見られるのですが、できるかぎり自分の年齢をアピールできるように話を持って行きました。普通の人なら新聞配達をしている小学生など見ると「頑張ってるな。ジュースの一本でも買ってやろうか」と思いますが、そんなふうに見られていたのでしょうか。もうひとつ心がけたことは、お客様を「奥さん」と呼ばずに、「お母さん」と呼ぶことでした。
「この営業の仕事を始めてから、「商品を売ってはダメだ、自分自身を売らないと商品は売れない」と気づいたのです。扱っている商品はホームセンターに行けば似たようなものが、それこそ安く売られているものでした。幾分品質は良かったのですが、それでも私の売っている商品の値段はホームセンターの2倍から3倍はしました。そこまで高くて良いのだろうかと思ってはいたのです。また先輩からは「判子を押して貰ったらすぐに帰ってくるように」とも教えられていました。高い商品ですから、契約をとって少しでも相手に考えさせる時間を与えると、キャンセルされてしまうことがあるからです。
 そんな仕事に疑問は抱くのですが、何ぶん社会経験はまったくないですし、他の会社と比べることもできません。普通の会社も同じようなことをしているのだ、これが会社というものなのだと思い込んでいました。

営業修業の旅へ
 会社でもトップの成績を取れるようになってきましたが、それでも満足はできませんでした。会社は社員100人ほどの会社でしたから、そこで満足したくなかったし、そのためにももっと営業力を磨きたいと思うようになったのです。
 訪問販売をしていると、他社の営業マンとも数多く知り合うようになります。そうした方たちから「営業の本場は大阪」「営業力を磨くなら大阪が一番だ」という話をよく聞くことがあり、ぜひ大阪で自分の力を試してみたいと思うようになってきました。それで勤めていた会社を辞めて、単身大阪に乗り込むことにしたのです。これが17歳の時でした。大阪に行くことに抵抗はありませんでした。訪問販売の会社は休みが月に一度で朝から夜中まで外を回っている生活でしたから、どこで暮らしてもかわりはないと思えたからです。気持ちとしては東京から千葉に行くようなものでしたね。
 大阪に着くとすぐに就職情報誌を買い、順番に訪問販売会社へ電話をかけていきました。ところがどの会社でも断られるのです。それまでの経験から、訪問販売の会社は面接を断るということがないと思い込んでいましたから驚きました。断られる理由を聞いてみると、実は大阪には条例があり18歳未満は訪問販売の会社で採用してはいけないことになっていたのです。




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