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Front Interview
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Vol.023 市民バンク代表 片岡勝第1話 自由闊達
コラム(1) パーソナル・データ(1)
組織の原理を学ぶ
 銀行では、組合活動ばかりしていたので、15年間、一度も異動で本社から出たことがありませんでした。銀行時代に学んだものは、やはり組織です。全国信託銀行従業員組合連合会の委員長として、3万人の組織というのはどうすれば動くのか、また、規模が変われば組織を動かす原理も変わる、ということを学びました。3万人規模になると、もう自分の思ったようには動かないわけです。数人であれば、コミュニケーションをすれば僕の意志が伝わりますが、3万人ともなると、構成員の人たちが聞きたくないと思ったことは、まったく届かないのです。でも一方、僕が酒の席で、こうなるかもしれないとちょっと喋ったような情報が、あっという間に広がります。
 選挙の応援活動に関わったのも、今から思えば、若いからできたことなのでしょうね。当時は田中角栄の絶頂期でした。1974年7月7日に行われた第10回衆議院議員選挙は、通称七夕選挙といわれ、いわゆる企業ぐるみの選挙戦でした。住友グループは鳩山威一郎氏、日立グループが山東昭子氏というように企業グループに候補者を割り当てて応援を行っていました。三菱グループは組織力があったので、いちばん知名度の低い坂健氏という元総理府の役人を推すことになっていたのです。
 ある日、職場の机の上に坂健氏の後援会に入るようにとの入会申し込み書が置かれていました。それを見て、僕は「労働契約はしたけれど、政治契約をした覚えはない」と噛みついたのです。そうしたら、当時の赤間義洋頭取が全行員に向けて、「実はこの件について、自分は知らなかった。しかし、知らなかったとはいえない立場にいる。私の目が黒いうちは、二度とこのような思いをさせることはありません」と謝られたのです。立派な方でした。

組合活動から市民活動へ
 僕の方も、そこまでで止めておけばよかったのですが、会社の裏にある日本製鋼の社長が財界の政治献金のとりまとめをしていたのです。多額の政治献金をして、その対価として経済界が公的資金で行われる仕事を得ているという仕組みに、常日頃からアンフェアさを感じていました。今里広記さんが会長をされていたのですが、ビルの前に立って、「教育や福祉など、社会全体を支えるお金に献金するのなら良いが、特定の政党と癒着する政治献金はフェアではない。あなたは立派な経営者だが、間違っている。政治献金するなら、おばあちゃんの福祉費も出せ! 薬代も出せ!」などとやったのですよ。
 そうしたら、新聞社が近かったので取材記者が飛んできて、「どうするのですか」とたずねるのです。私も、「我々は対立候補を立てて、田中角栄の企業ぐるみ選挙という暴挙を阻止する!」と勢いで言ってしまったのです。よく考えたら、選挙運動なんかしたこともなかったのに。しかし口にした以上はやろうと、候補者探しをしました。田中角栄に対抗できるのは誰だろうと仲間で議論すると、誰かが「市川房枝」の名を挙げたのです。たしか、小学校の頃に、明治の女性活動家として、平塚らいてう、市川房枝と習った覚えがあり、現存しているわけはないだろうと思ったのです。ところが探したら、生きていらしたのです。
 1971年の第9回参議院議員選挙の東京区で落選してから引退され、当時は80歳近かったと思いますが、とても勘のいい方でね。我々の話に理解を示して参加してくれたのです。それで選挙運動を繰り広げて、結局、192万票の得票で当選、見事全国区に返り咲きました。引退されたとはいえ、市川さんの方にも、社会や政治に対していろいろ思いが残っていたのでしょうね。だからこそ、こういう形で出会いに結びついたわけで、人は、そうやって導かれるようにして出会うものなのだと実感しました。



(1月16日更新 第2話「死線」へつづく)




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