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VC vision
前編 後編
第11回 ハードコア・ベンチャー 前編 コアへの投資
ITX株式会社が掲げるビジネスモデルは、新規事業の投資・事業育成。
事業育成する企業の多くを子会社化し、その事業収益を収益構造の基幹にするスタイルは、
明らかに一般のベンチャーキャピタルとは異なるものである。
このユニークなITXのビジネスが確立していった経緯と、
その目指すべきベンチャー投資の戦略について、
ITX専務取締役の塩谷誠司氏にうかがった。

interviewer:森本紀行(ベンチャー座アドバイザー、HCアセットマネジメント代表取締役社長)
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商社の投資は新しいビジネスの商権を生む

【森本】 ITXの設立の経緯をその時代背景も含めてお話しいただけますか。
【塩谷】 生い立ちをいいますと、ITXは総合商社である日商岩井の情報産業本部が2000年に分離・独立する形で設立した会社です。日商岩井が情報産業本部を立ち上げたのは1984年のことです。元をたどれば、もっと早くから事業展開をしているのですが、事業本部としてのスタートはこの1984年になります。商社の一部門ですから、当然、営業部隊が主流となる組織構成になっていまして、電子機器、家電関連機器、通信機器の輸出・販売を主な事業内容としていました。1980年代半ばといいますと、電電公社の民営化が進められた時代になります。
【森本】 我が国で1985年にNTTができる1年前には、米国でも通信の自由化によって、同国の通信業を独占的に支配していたAT&Tの分割が実施されました。
【塩谷】 はい。1980年代後半は、内外の通信業界において、新規企業が参入してくる自由競争が始まった時代と言えます。その自由化にともなって、国内ではDDI、日本テレコム、日本高速通信などの通信事業への参入がありました。そういうビジネスチャンスに対して、他の商社同様に、日商岩井の通信事業部門も、この分野での投資を始めていったわけです。その後に、携帯電話の普及が進むようになり、現在のau、ソフトバンクなどの携帯電話会社の前身となる企業群に投資をしていきまして、通信分野においての投資範囲も広がっていきました。一方、自分たちで新しく立ち上げた事業としては、大きなものとしては、富士通との共同事業であったニフティがあります。商社的なトレードを主としつつも、その傍らで、自らの事業創出もやっていこうとしたものです。投資した事業のいくつかが上場を目指す展開に進んでいき、事業収益だけでなくキャピタルゲインも強く意識するようになりました。
【森本】 なるほど。
【塩谷】 1990年代後半になってきますと、インターネットの普及とネットバブルでIT関連の案件も増えてきたわけですが、そこで、課題が出てくることになります。大組織ですから、ITの世界とは、投資決定までのスピード感がどうしても合わない。さらに、投資の決裁者である当時の日商岩井の役員は、鉄や石油、食糧を仕入れたり売ったりしてきた経験者で占められていて、まったく違うインターネット分野には馴染みがないわけです。ですから、的確な投資判断もできないという事態に直面しました。もともと、なぜ商社が投資を行うかといえば、そこに新しいビジネスの商権をつくることにあるのですが、それがないと投資はできない、ということになってしまいます。インターネットにはそれが形として見えてこないものですから、インターネットに精通していない役員たちには、当たり前のように「インターネット関連の投資は難しい」ということになってしまったわけです。それで、このまま商社ビジネスの一環としてやっていくのは難しいということで、本部を丸ごと独立させることになったのが2000年というわけです。当時、情報産業本部では、すでにいくつかの子会社を含む数多くの投資先をもっていましたが、それも含めた形で独立をしています。

メーカーの論理でない発想で事業を立ち上げる

【森本】 その独立時から、IT分野のベンチャー企業への投資育成を主要な事業として考えられていたのですか?
【塩谷】 その当時の自分たちがやってきたことを振り返りますと、まず、日商岩井時代には、いろいろな大手企業と提携して新しい事業を立ち上げてきた実績があります。この新しい事業をつくって育成していくビジネスを、ITXの事業の柱にしようという考えがありました。独立直後から、戦略パートナーである事業会社に株主として参画いただき、積極的に事業設立に取り組んできました。
【森本】 戦略パートナーの株主としてはどのような企業が参加されていたのですか。
【塩谷】 主な株主にはオリンパス、船井電機、ビー・エム・エル、ニチメンなどがありました。ただ、ITだけに特化したわけではありません。ITXがスタートしたのは2000年4月で、その年の10月に、医療関連の事業などを含むライフサイエンス事業を立ち上げています。ですから、ライフサイエンスとITとの二本柱のスタートだったといっていいと思います。
【森本】 沿革を見ると、その後かなり順調に来ています。 
【塩谷】 はい、2001年には、当社はナスダック・ジャパンに、現在のヘラクレスですが、上場しています。投資先では、JSAT、スカイパーフェクト・コミュニケーションズ、インフォコム、テクマトリックスなどが、順調に上場を実現してきています。その過程でオリンパスとの戦略的関係を強化するようになっていきまして、2004年9月に、オリンパスがITXの親会社になっています。現状の資本構成では、オリンパスグループが70%以上を出資する形です。
【森本】 どのような経緯でオリンパスが親会社になったのですか。
【塩谷】 一つは、日商岩井と親しい会社であったということがあります。しかし、それ以上に、オリンパスとITX双方の事業にとってプラスとなる要素があったということですね。
【森本】 どういうポイントがプラスになったのでしょう。
【塩谷】 ITX設立当初より、双方の強みを活かして何か一緒に事業ができないかと、両社からのメンバーでプロジェクトを進めてきた中で、我々が発掘したテクノロジーの案件でうまい具合に事業化ができたものが複数出てきた関係で、結びつきが強くなっていきました。現在では、医療機器の販売会社や医療関係のコンサルタント会社などを共同で展開しています。オリンパスはカメラメーカーとして有名ですが、実は医療分野の内視鏡では世界でトップのシェアをもつ医療機器メーカーです。従来から、メーカーではない発想で自分たちの新たな事業を立ち上げたり、新しい技術を取り入れたいという考えをもっていたのです。それは、まさにITXが得意とする分野で、そこから共同でビジネスを進めるようになっています。ITXにとってはオリンパスの技術力は、事業の拡大に大いにプラスに作用したということです。





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