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Front Interview
第1話 第2話
第3話 第4話
Vol.020 IBM Venture Capital Group 日本担当 ベンチャー・ディベロップメント・エグゼクティブ 勝屋 久第2話 ベンチャーの鼓動
コラム(2) パーソナル・データ(2)
Net Generation Task
 日本IBMでは営業からチャネル営業へ移り、その後、製品ブランドスタッフとして中堅中小企業向けのサーバー営業のチーフとなりました。そして1999年、37歳でインターネット企業のサーバー営業のリーダーとなったとき、当時の事業部長の橋本孝之さん(現・日本IBM専務)から「これからはアマゾンのようなサーバーを大量に使うネット系の会社が次々と設立されてくる。その担当をするように」と命じられました。
  日本IBMは、インターネットを利用して事業展開を図る企業を「ネット・ジェネレーション企業」と位置づけ、こうした企業に対してサーバーを販売していくという戦略を立てたのです。こうして立ち上がったのがITベンチャー開拓チーム「Net Generation Task」、略して「ネットジェン」と呼んでいました。
  ネットジェンは37歳の私がヘッドで、他の部署から招集したスタッフもすべて20代から30代。営業やSEのそれぞれの分野でピカイチのスタッフが集まりました。仕事の進め方については会社からすべて任されていました。私たちの仕事はベンチャー企業に直接投資をするわけでもなく、また実際に売上を立てていくわけでもありません。新しいベンチャーを発見して、初年度サーバーを安価(無償のケースもある)に提供して、翌年度以降にサーバーなどのビジネスにつないでいくことが目的でした。つまり初年度は利益を生まない部門でしたから、マーケティングもなるべくお金をかけずに効果的にということを念頭に考え、工夫をこらしました。

ベンチャー支援というフラッグ
 しかし、集まったメンバーがすべてベンチャーの世界について精通しているわけではありませんでした。ベンチャー企業と関係を作れといっても、最初はどうすればいいのか見当もつかなかったのです。社内にもベンチャーについて知っている人、ましてや教えてくれる人など誰もいませんでした。ですから、私たちはベンチャー企業の方々にアプローチするための様々なアイデアを自分たちの力で考えるようにしました。
  ネットジェンがまずやらなければならなかったのは、私たちの存在を社外にアピールすることでした。まずはマスコミの方々に様々な情報を提供することから始めました。幸い当時は「ベンチャー支援」という言葉が注目を集めていましたから、そのキーワードを使って「IBMがベンチャー支援を始めます」と新聞社に向けてリリース発表をしました。それが記事に取り上げられたのです。それも日本経済新聞夕刊の一面に出たものですから大変な反響でした。いきなり多くのベンチャー企業様から事業計画書が送られてきたり、ベンチャーキャピタルも最大手のジャフコさんをはじめ多くの方々が訪ねてこられたりしました。
  反響があったとしても待っているだけではベンチャー企業との関係は作れません。積極的に社外へも出て行きました。そうして少しずつネット系の有望なベンチャーにアプローチを始めたのです。間近にベンチャー企業と接していくとネットジェンの当初の目論見であったサーバー販売が容易ではないことがわかってきました。資金や経営知識などが不足し、成長軌道に乗り切れていないところが多かったからです。そこで、直接資金を提供するのではなく、彼らをサポートするなんらかの方法はないものかと考えました。私たちができることといえば、彼らが必要とするサーバーを提供することでした。この時にはベンチャー企業の株をいただくというサポート方法を考えたことこともありました。これは実行には至りませんでした。




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